三会堂ビルゆかりの人物

石垣隈太郎 翁
◆1959年4月8日(安政6年)
 
  伊勢の国員弁郡大社村(現在の三重県東員町)にて生誕

◆1874年(明治7年)
  
 14歳、三菱会社(横浜)の給仕として勤務

◆1877年12月(明治10年)
   本州―北海道間の航海に従事、初めて北海道の地を踏む、三菱会社函館支社勤務、22年同社退職

◆1889年(明治22年)
   函館で酒類、醤油、缶詰、油の商いと共に漁業経営

◆1891年(明治24年)
   函館で「ラムネ」を製造

◆1894年(明治27年)
   北洋で海獣猟業(ラッコ、オットセイ等)、樺太でサケマス漁業、
   アラスカで魚の買い付け等、北海道漁業開発に貢献し、「水産王」と称される

◆1925年1月(大正14年)
   北洋漁業の先覚者である石垣隈太郎翁は、私財約100万円を公共事業に使用する事を条件として、
   大日本水産会に寄付の申し入れをする、三会は寄付の受納と
財団の設立を決定

◆1926年1月(大正15年)
   石垣隈太郎翁の寄付一切を資産として「財団法人石垣産業奨励会」を設立

◆1927年4月23日(昭和2年)

   第三次三会堂(石垣会館)の完成、石垣隈太郎翁銅像(朝倉文夫 作)の除幕式

◆1928年5月5日(昭和3年)
   石垣隈太郎翁 逝去

◆1928年5月9日(昭和3年)
   三会堂石垣会館 大講堂にて葬儀執行、多磨霊園に石垣家の墓を建立
享年70歳
(1859〜1928)


石垣隈太郎翁 銅像   三会堂ビルと石垣隈太郎翁



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